加賀尾秀忍

加賀尾がマニラのモンテンルパ刑務所に着いたのは、1949年10月。そこで見聞きしたものは、彼の想像をはるかに越えた悲惨な現実だった。たとえば、セブ島メデリンで行われた村人殺害事件。日本軍は村に潜むゲリラ退治のため、村人を殺害、婦女子を強姦、村の焼き討ちなど残虐の限りを尽くした。 この事件で実際に起訴された13人の内、明らかに6人は事件と無関係だった。彼らは、メデリンなどに行ったこともなかったのである。にもかかわらず、この13人は全員死刑の宣告を受けてしまった。どうしてこんな理不尽なことが起こったのか。それは、日本軍の雑役夫であった一人のフィリピン人の証言に基づいていた。彼は容疑者の面通しの際、「あれもいた、これもいた」と指をさしたのである。